観劇のあれこれそれ

ネタバレあり・感想や考察もどきや次回観劇用の疑問等をつらつら

加州清光単騎出陣2017

7月の刀剣乱舞2.5DカフェによるShowroomで突如発表された加州清光単騎出陣、
リアタイでうわーーーーwww銀劇ーーーーーwww行く~~~o(^o^)oってなったのを今でも覚えてます

そして長い、長い先行や一般との戦いを経て10/6公演を立ち見で、10/11ソワレ公演を前方席で観劇したので自分の感じたものや気持ちを書き出しときます



・単騎出陣って結局何なんだ?
ずっとソロライ、ソロライって勝手に言ってたけどほんとはソロパフォーマンスって書いてあった

はじまって納得
2階の立ち見でみていると、銀劇のステージという小さな箱庭で
刀ミュ本丸の加州が歌い踊り愛をそっと形にする姿を見つめる神の気持ちになりました

刀ステとか2、3階で観たときにこんなに小さな箱だって感じなかったから立ち見効果かな…
でも出演者が加州とダンサーさんしかいないのに本当にこのステージが手の中に収まってしまうような空間に感じたんだよねぇ…不思議

解けない魔法アレンジverからのmistakeでは音源がteam三条with加州のコーラスで
(うわぁ…!推しの声がする!)ってハッとして、(敢えてこれ使うの!?)って一気に背中が熱くなりました
トライアルの初日思い出します…予想外のライブ展開(衣装や歌やダンスもろもろ)愉快すぎて客席で爆笑したあの日ーーーーー!
何よりmistakeの振りコピ大好き、いつも推ししか見てなかったから加州が踊ってるの見るとちょっとしたところが違って新鮮

そんな感じで新曲や新衣装でほぼほぼパフォーマンスが続いて
公演のライブパートとはまた違う、佐藤流司が加州清光として魅せる公演だったと終演後にしみじみと感じる80分でした

〆のアモーレのインパクトは大きいけど個人的にはほんの少しの愛や感謝の形がこれであって、
逆にほんの少しの思いやパフォーマンスでこれだけのものを魅せるのが刀ミュにおける加州なのかなって認識です
もっと大きなものをチームやあの審神者に向けられるのが加州じゃない?って感覚は完全に茅野さん贔屓なんですけど


・水の演出やら殺陣の演出やらが何を表してるのか

最初の水の中に気泡がコポコポしているような演出、川の下の子っていうのもあるけどそれだけじゃなくて
「ミュージカル刀剣乱舞における加州清光」っていう概念が生まれるのも含まれているのかと勝手に思ってます

それには個人的な話をすると、ゲームの加州と花丸アニメの加州と刀ミュの加州は全部違う存在だという考えが前提にあって
その中で刀剣乱舞のオタクはこの3つの存在をそれなりに区別できているのが今の現状ではないかと

例えば花丸の加州はこんなことしないけど、刀ミュの加州なら喜んでやってくれそう!とかそうゆう感覚
そのオタクたちがもつ他の媒体との個体差の認識をよりはっきりくっきりさせる情報散布というか
判断材料というか「これが刀ミュの加州です!」って改めてのお披露目がこの単騎で、
それこそ刀剣乱舞のオタクではない人がゲームや花丸の加州は知らないけど刀ミュの加州は知っている、という現象をより広く起こしたいのかな?

恐れ多い例を挙げると「テニプリ跡部様」って「テニミュ跡部様たち(恐らくキャストによって違うので)」とは
やっぱり違う存在だと思うんです(漫画とアニメしか見てないのもあって)
そしてこの「テニプリ跡部様」ってテニプリをタイトルとかテニヌとかその程度しか知らない人でもなんとなく
概念的に存在を認知しているのがここ数年の状況かと勝手に思い込んでます

そんな存在って作ろうとしてできるのかわからないけど…そうゆう概念たちの中に入っていけるのかある意味お手並み拝見ですね

ソロCD発売するからにはまだしばらくこの活動があると思われのでチケットが関わるものはとっっっっっても大変だとわかりきっているけれど
この作品に関わっている人たちが何を見据えているのか、何を魅せたいのか知りたいので
しんどくならない程度に見ていきたいな~というスタンスでついていきたいと思います